映画のメタファーとしての裏窓~脚本の魅力
本作に登場する裏窓は、人生のメタファーであるとともに、映画のメタファーでもある。
本作の主人公ジェフは骨折で車いす生活を余儀なくされている。そのため気軽に動くことができず、裏窓の住人たちの様子を日がな観察している。
しかし、ジェフの向かいのアパートの住人たちはジェフが自分たちを見ていることには決して気づかない。ここには、映画館と同じ「見る/見られる」構造が成立している。
この関係が崩れるのは本作の後半、リザが怪しい男の証拠を探しに男の部屋に忍び込むシーンでのこと。リザは男の妻殺しの証拠を発見するものの、帰ってきた男と運悪く鉢合わせてしまいもみ合いになる。
ここで、男ははじめてジェフが一部始終を覗き見していたことに気づくのだ。
ここから物語は急展開を迎える。事が収まった後、部屋に一人残るジェフのもとを訪れる男。彼は、ジェフが自由に身動きが取れないことをいいことにジェフへと襲い掛かる。この展開の恐ろしさは何ものにも代えがたい。
ちなみにこの展開には実は伏線が張られている。冒頭、カメラがジェフの部屋の卓上に飾られたアイテムをゆっくりと追っていく。そこには、壊れたカメラとジェフが撮影したと思われるとある写真が映っている。写真の中には激突するレーシングカーと宙を舞うタイヤが映っている。
ここから読み取れるのは、カメラマンのジェフが、カーレースの撮影中に飛び出してきたタイヤにぶつかり、骨折したという事実だ。
「映画の観客」だったジェフがスクリーンから飛び出してきた「被写体」に危害を加えられる―。本作の主人公ジェフはそんな人間なのだ。