キューブリック特有のブラックユーモアが炸裂~演出の魅力~
巨匠、スタンリー・キューブリックが手がけた最もスキャンダラスな一品であり、映画史上屈指のカルト作として名高い、SF暴力映画。露骨な性描写や暴力表現によって、公開当初は一部の観客から激しく嫌悪されるも、製作費220万ドルに対し、興行収入はアメリカ国内のみで2600万ドルを記録。社会現象的な成功を収めた。
舞台となるのは、行き過ぎた自由主義の横行によってモラルが崩壊した近未来。前作『2001年宇宙の旅』(1968)で、数十年先の未来を先取りする驚きの映像を生み出したキューブリックだが、本作ではビニール盤のレコードや、1960年代のアメリカで広く普及したIBMの電動タイプライターをフィーチャーするなど、現在からするとレトロな演出が際立つ。
さらに、主人公・アレックス(マルコム・マクダウェル)が更生施設で受けるルドヴィコ療法—特殊な器具で眼球を固定され、暴力的な映像を強制的に見せられる—もまた、きわめて原始的な方法で行われる。
SF映画としての洗練度は前作よりも劣る。しかしその分、当時の社会的ムードがヴィヴィッドに伝わるという点では前作の比ではなく、細部にわたって見所にあふれている。アレックス率いるギャング団は豪邸に押し入ると、名作ミュージカル映画のナンバー「雨に唄えば」を歌いながら、「ドクターマーチン」のワークブーツで住居人を蹴りつける。
劇中に登場する装置、衣装、楽曲の一つひとつは、レトロな印象を与えるものの、その意想外の組み合わせによって、唯一無二の歪んだ世界観が表現されている。ドクターマーチンのブーツは、1960年代後半のイギリスにおいて、若いギャングたちのユニフォームとして愛好されたアイテムだ。キューブリックは、イギリスのギャングをモチーフにしつつ、アメリカの国民的ミュージカルナンバーを掛け合わせることで観る者を幻惑し、未知の感情を味わわせる。
冒頭のカットでは、マネキンが所狭しと置かれたバーで、ミルク(ドラッグ入り)を手にしたギャングたちが不動の姿勢でカメラを睨みつける。怖がればいいのか、笑えばいいのか。観客にクエスチョンマークを突きつける、ファーストカットの“絶妙な気味の悪さ”もやはり、デタラメかつセンスあふれる記号の組み合わせによって表現されている。記号のデタラメな組み合わせというモチーフは、ロシア語と英語のスラングを組み合わせた人工言語(ナッドサット言葉)が全面的に使用されているという点にも見出せるだろう。
公開当時、公序良俗を害すると批判された、早回しで描写される女性2人とのセックスシーンは、現在から見るとさほど過激ではなく、情欲よりも笑いを誘う。その点、本作は原子爆弾をモチーフにした風刺喜劇『博士の異常な愛情』(1964)でも発揮された、キューブリック特有の“ブラックなコメディセンス”が存分に堪能できる作品でもあるのだ。