アレックスの眼球の描かれ方に注目。女性蔑視的な側面も
全編を通じて最も存在感を放つのは、主演のアレックスに扮したマルコム・マクダウェルの狂気的な芝居である。1943年にイギリスで生まれたマクダウェルは、同国を代表する映画作家の1人であるリンゼイ・アンダーソン監督に見出され、カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得した『If もしも….』(1968)に主演。その後、キューブリックの目にとまり、アレックス役にコンバートされた。
上目遣いでカメラを睨む、眼差しの芝居が印象的である。緑のタイツを着た女性の家に忍び込むシーンでは、天狗のような仮面を被っており、顔の表面が隠される分、邪悪な眼差しが際立つ。また、このシーンでは部屋に置かれた男根のオブジェがフィーチャーされ、鼻部が突起した仮面の印象も相まって、性的なメタファーが露骨に散りばめられている。
アレックスはその直後、仲間の裏切りに遭い、逮捕される。注目すべきは、牛乳瓶で顔面を殴打されたアレックスが「畜生、目が見えない」と叫び、殴られた痛みよりも視界不良を真っ先に訴えている点である。その後、アレックスの邪悪なまなざしは、ルドヴィコ療法によってさらなる受難に見舞われることになる。
鉄のクリップによって瞼を固定され、眼球が剥き出しになったアレックスを映したカットは、映画史上最もインパクトのあるクローズアップのひとつだろう。このカットの鮮烈な印象は、要所要所で“眼”をフィーチャーした描写を丁寧に積み重ねた結果、生み出されているのだ。
マルコム・マクダウェルが身を削り、歴史に残るパフォーマンスをみせる一方、その他のキャスト、とりわけ女性キャストがぞんざいな扱いを受けているという印象は拭いがたい。アレックスのモノローグによって進行する物語自体、男性中心主義的であることを考慮しても、登場する女性がことごとくマネキンのような存在感しか与えられていないという点は、批判的な角度から検討されるべきだろう。
主人公の父親を演じたフィリップ・ストーンは、その後『バリー・リンドン』(1975)『シャイニング』(1980)にも出演。後者では幽霊役を演じ、多大なインパクトを残した。