映画『ネクスト・ゴール・ウィンズ』を生み出した
真実の物語とは?
ワイティティ監督は、本作をオランダの元サッカー選手であるトーマス・ロンゲンが米領サモアに到着する場面からこの物語をスタートさせる。
オランダの首都アムステルダム生まれであるロンゲンは、1979年にアメリカへと渡り、ロサンゼルスを本拠地としたサッカーチーム「ロサンゼルス・アズテックス」にてプレーする。その後、いくつかのクラブに所属し、アメリカでの選手生活を終える。
1984年から、少年サッカーチームの監督アシスタントとして活躍し始めたロンゲンは、2001年からU-20サッカーアメリカ合衆国代表の監督を務め、チームを2007 FIFA U-20 ワールドカップと、2009 FIFA U-20ワールドカップに導くことに成功する。
しかし2011年、アメリカ代表はワールドカップ出場のチャンスを逃し、責任を問われたロンゲンは解雇を余儀なくされる。
その後、ロンゲンはサッカー監督としての奇妙なオファーを受ける。そのオファーの内容とは、当時の公式戦で勝利したことのない米領サモア代表の監督を務め、3週間という短い期間の指導で、彼らを2014年ワールドカップの予選に間に合わせるというものであった。
ロンゲンはスポーツサイト『The Athletic』にて「パシフィック・ゲームズ(大洋州のオリンピック)のトーナメントを何試合か見たが、誰も90分間プレーできなかった」「大丈夫、3週間あるんだ。技術的にも戦術的にも改善できる。少しは手直しができると思ったけど、3週間で大きなことができるかどうかはわからなかった」と当時このオファーを受けた際の不安を語っている。
ロンゲンからすれば、世界最弱チームと呼ばれた米領サモアチームが10点差以上で負けないだけましな内容であったのだ。
そしてロンゲンはチームに変化を起こした。
米領サモアは、予選前に行われたトンガ戦にて、2-1のスコアで勝利。かつては最低最悪のチームと見なされていたにもかかわらず、勝利の実績を残したのだ。