米領サモアチーム、オーストラリアに31-0で完敗
しかし、なぜアメリカ領サモア代表はこれほどまでに悪評を買ったのか?
まず、彼らは1994年に集まって以来、合計30試合を戦い、30戦全敗だった。
前項で触れたトンガ戦の勝利が彼らの初勝利である。そして、2001年のオーストラリア戦では、31-0という歴史的な大敗を記録。
この試合は4月11日にオーストラリアのコフスハーバー国際スタジアムで行われた。
31-0という最終スコアは、同試合の2日前にオーストラリアがトンガを22-0で下した際に記録した国際試合での最多得点記録を更新。
さらに、同試合にて合計13ゴールを決めたニュージーランド出身のオーストラリア人選手アーチー・トンプソンは、デンマークのソフォス・ニールセンと、ドイツのゴットフリート・フックスが、それぞれ1908年のフランス戦と1912年のロシア戦で記録した10ゴールを上回る、チームの新たな記録を打ち立てた。
試合後のトンプソンは「世界記録を更新することは夢のような話だ。でも対戦チームを考慮して、この記録に疑問を持つ必要があるのです。こんな試合をする必要はないのです。時間の無駄だよ」と話し、さらに続けて「彼らは最後に笑っていたのです。彼らにできることはなかったあれ以上なかったのです。彼らの攻撃はハーフウェイライン(フィールドの中央にある線)を越えることだけだったと思う」と圧倒的に勝利し、世界記録を更新したことに疑問を持ちつつ、当時の詳細について語っている。
これは、米領サモアチームにとって屈辱的な結果に思えるかもしれない。しかし彼らにとっては、2001年の同試合に出場できたという事実だけでもすでに勝利と言える。
彼らの悲劇は、FIFAがサモアの選手たちにアメリカのパスポートを要求したことから始まっている。
20人の招集選手のうち出場できたのはGKニッキー・サラプだけであり、急遽、平均年齢19歳の新チームが編成されたのだ。さらにその選手のうち2人は15歳であり、学校の試験があったため、最後までその場に居ることができなかった。
チームの技術指導者であるTony Langkildeは、選手の多くはプロの試合で90分間フルにプレーすることに慣れておらず、試合のための適切なサッカーシューズすら持っていない選手もいたと述べている。
実のところ、選手たちは100%プロフェッショナルというわけではなかったのだ。
そう考えると、ワールドカップ予選で初勝利を挙げた彼らの粘り強さには尊敬を抱かざるを得ない。
最終スコアは31-0よりももっと悪いものになっていた可能性だって十分にあるのだ。
実はしばらくの間、試合で使用されていたスコアボードには”32-0”でオーストラリアの勝利と表示されていた。しかしこれはサモアが決められたゴールの多さに目が眩んだオペレーターのミスだったことが判明している。
米領サモアのフットボールコーチであるトゥノア・ルイ監督は「なぜ彼らがあんなにゴールを取りたがるのか、理由がわからなかった」と試合が終わってから語っている。