モデルは日本中を揺るがした食人事件。極限状況の中で何があったのか…
『ひかりごけ』(1992)
上映時間:118分
監督:熊井啓
原作:武田泰淳
脚本:池田太郎、熊井啓
キャスト:三國連太郎、奥田瑛二、田中邦衛、杉本哲太、内藤武敏、笠智衆、井川比佐志、津嘉山正種
【作品内容】
1944年の冬、北海道で4人の漁師を乗せた日本陸軍の徴用船が座礁し消息を絶ったが、3か月後、船長だけが生還した。
村は歓喜の渦に包まれるが、その後になって沖に人骨と衣服の収められたりんご箱が漂着。船長が死んだ船員の肉を食べて生き延びた事実が明らかになる。極限状況下で一体何があったのか。人間の生と存在に鋭く問いかけた本作。
ちなみに「ひかりごけ」とは、知床半島に自生するエメラルド色のコケで、わずかな環境変化でも枯死してしまう脆さを併せ持ち、絶滅危惧種として採取は規制されているほか、国などから天然記念物に指定されている。
【注目ポイント】
武田泰淳の同名小説の映画化作品だが、そのストーリーは本事件そのものではなく、噂も含めて構成された『羅臼郷土史』も参考にしており、実際とは異なる部分も多い。
この事件は、戦時中に起きた「ひかりごけ事件」(別名「知床食人事件」)をモデルにしている。世界で唯一とされる人肉食を罪として問われた裁判で、この船長は死体損壊の罪で懲役1年の実刑判決を受けた。ただし、船長が食べたのは1人だけであり、本作によって、誤った風評が広がった一面もある。
本作は、取材に訪れた中学校の校長(三國連太郎)が案内する中で、船長の自白への疑問、船長が裁かれる裁判へと思いを馳せるという流れで物語が進み、主人公の葛藤にフォーカスされている。
しかし時代は戦時下であり、戦況一色の新聞では報道されなかった。食人事件があったという噂が口伝で広まったが、裁判記録は廃棄され、捜査記録も戦後に発生した火災によって焼失したことから、事件の詳細が知られる可能性が消えたことで、逆に虚実入り乱れた憶測が広まってしまう。
武田泰淳が小説にしたことで、その内容があたかも真実のように伝わってしまった側面は否めない。結果的に、船長が船員を次々と殺害して食べたという風評が独り歩きすることになった。
事実としてあったのは、船長による人肉食事件があったということのみ。その内容や、食べられた人数、人肉食のための殺人があったのかどうかは、今となっては知るすべもないのだ。
(文・寺島武志)
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