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「水は低い方へ流れる」というセリフが持つ豊かな意味

© 2023 NEOPA / Fictive
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 映画の主な舞台は長野県水挽町という架空の町である。東京にほど近く、豊かな自然と水資源に恵まれた高原地帯であるこの土地に目をつけた東京の芸能事務所が、補助金目当てのグランピング場建設を計画する。地域住民向けの説明会は紛糾し、現地を訪れて説明役を務めた高橋(小坂竜士)と黛(渋谷采郁)は住民たちからけんもほろろに突き放され、ほうほうのていで東京に舞い戻る羽目になる。

 グランピング場の説明会に参加した日の夜、主人公の巧(大美賀均)は、自宅でその様子をスケッチブックに描き、そこに「水は低い方へ流れる」という言葉を書き添える。説明会の際に争点のひとつとなっていたのが「合併浄化槽」である。

 64人の収容定員に対して、稼働率はせいぜいその半分程度と見積もられ、浄化槽の能力は40〜50人程度に設定されている。その場合でも、浄化能力は90パーセントであり、5人分程度の汚染水が流出する計算である。また、合併浄化槽の位置にも疑義が呈される。

 汚染水は、下の井戸へと流れ込み、地域住民や、さらに下流の人々の生活にも影響を及ぼすことになる。説明会の場で駿河(田村泰二郎)が言ったように「上の方でしたことはどんどん積み重なって最後にものすごく大きな結果になる」のである。この言葉は、映画全体に対するコメンタリーのように機能している。

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