“巨大なものと極小なもの”を描き分ける〜演出の魅力
本作は、架空の新聞王・チャールズ・フォスター・ケーンの生涯をテーマとしたオーソン・ウェルズの監督第1作。主演のケーンをウェルズ自身が演じている。
16歳のときにアイルランドで役者としてデビューして以降、演劇ディレクター兼役者として八面六臂の活躍をしてきたウェルズ。その後は、ラジオ番組の世界にも進出しさまざまな番組を手掛けてきた。
そんな”メディア界の寵児”は、映画界でも目眩く才能を発揮。初監督作品となる本作は、英国映画協会が10年ごとに選出するオールタイム・ベストテンでは5回連続で第1位に、AFIによる「アメリカ映画ベスト100」でも第1位に選ばれるなど、高い評価を獲得している。
本作におけるウェルズの演出は、CG技術が浸透した現在でも、観る者に新鮮な驚きを与えてくれる。本作は主人公・ケーンが「バラのつぼみ」という不可解な言葉を残して絶命するところから幕を開け、ゆかりの人々が「自分の知っているケーン像」を語ることによって、物語が進行していく。
ケーンの実像を様々な角度から浮き彫りにする構成である一方、本作が描くのは、語られる人物が不在であることから、ケーンの虚像が肥大化していく過程としても捉えることができる。自身の巨大な肖像画の前でケーンが演説をするシーンに顕著だが、ウェルズは、”実像と虚像”の対比を視覚的に表現することで、本作のテーマをダイナミックに描出している。
“実像と虚像”のテーマは、巨大なザナドゥ城と手のひらのスノードーム、広大な宮殿とそこに住む妻が夢中になるジグソーパズルといった、”巨大なものと極小なもの”を描き分ける演出によっても、さりげなく、しかしきわめて鋭く表現されている。ジグソーパズルは、断片を集積することで全体を形作ろうとする本作自体のメタファーでもあり、「たった一言で人生は語れない」というラストの名台詞も相まって、忘れ難いイメージとして観る者の脳裏に焼きつく。
アメリカでは、本作の成功を、デビッド・フィンチャー監督作品『マンク』(2020)の主人公としても知られるハーマン・J・マンキーウィッツが手がけた脚本によるものとし、ウェルズの演出を軽んじる批評も少なからず存在する。しかし、公開から半世紀以上経った現在、改めて見直すと、深奥なテーマを視覚的に表現する、初監督作品とは思えない、ウェルズの堂々とした演出に舌を巻かざるを得ない。