マフィアたちのリアルな生態ー脚本の魅力
気の利いたセリフに魅力的なキャラクター、そして心踊る銃撃戦ー。本作が制作されるまで、ギャング映画はそんな様式的な悪の美学に満ちあふれていた。その代表格が他ならぬ『ゴッドファーザー』シリーズだろう。本作では、監督のフランシス・フォード・コッポラは、原作者のマリオ・プーゾとともに、ドストエフスキーの名作『カラマーゾフの兄弟』をも思わせる重厚な人間ドラマを描いている。
しかし、『グッドフェローズ』には、こういったロマンや高潔さは微塵も感じられない。なにせヘンリーをはじめとする「グッドフェローズ」たちはお互いに「いかに相手を出し抜き、金を手中に収めるか」しか考えていない。本作に登場するのは、器の大きな侠客ではなく下卑たチンピラどもなのだ。
こういった本作の描写には、シチリア移民としてマフィアが牛耳るイタリアの市民社会で生まれ育ってきたスコセッシが肌で感じてきたリアリティが凝縮されている。
現にスコセッシは、本作のメイキングドキュメンタリー映画で、「私はそれ(マフィアたちの悲惨な現実)を見て育った。映画にしたら最高だといつも思ってた」と自身の制作動機を語っており、現場では、スコセッシとピレッジが事前に書いた脚本をもとに役者たちにアドリブを話させることで、リアリティ満載のセリフをものにしたという。
また、本作を語る上で欠かせない仕掛けが、主人公ヘンリーのナレーションだろう。先述のドキュメンタリーでビレッジが語るように、映画におけるナレーションは往々にして「作品のアラを補うための常套手段」になりがちだ。しかし、本作では、「観客の心に主人公を入り込ませるための方法」として意図的に用いられており、作品のリアリティを際立たせることに成功している。
なお、本作の編集を担当したセルマ・スクーンメーカーは、「美化されたマフィア像を覆したいと思った。引き金を引くことの意味を描くことが監督の目的だった」とスコセッシの思惑を代弁している。スコセッシ自身、従来にないギャング映画として本作を制作したことは間違いなさそうだ。