宮崎駿作品を学習したAIが見る夢
過去作へのオマージュシーンを解説
本作を見て筆者が真っ先に連想したのはカルト映画の鬼才デヴィッド・リンチの超難解映画『マルホランド・ドライブ』(2001年)だった。この作品は、ハリウッド近郊の「マルホランド通り」を舞台に、事故を負った謎の女性リタと新人女優ベティの交流を描いた作品で、現実世界と夢の世界が入り混じったり、断片的なイメージが散りばめられていたりと、本作と共通した要素を持っている。
また、両作品が「メタフィクション」(フィクションについてのフィクション)である点にも注目したい。『マルホランド・ドライブ』では、1人の役者が現実の世界と夢の世界で全く異なる役を演じているが、こういった展開は『君たちはどう生きるか』でも見られる。
ただ、『君たちはどう生きるか』には、『マルホランド・ドライブ』と決定的に異なる点がある。それは、作者である宮崎自身の自伝的な風合いが色濃く出ている点だ。例えば眞人の父親・正一が軍需工場の社長であるという設定は、そのまま宮崎の父の職業に当てはまる。また、眞人の「母の不在」は、宮崎が幼い頃、母が脊椎カリエスで寝たきりでなかなか遊んでもらえなかったという幼少期の記憶が反映されている。
極め付けは、過去の宮崎作品へのオマージュだろう。眞人と老婆・キリコが異世界へトリップする入口となる洞穴は、『となりのトトロ』(1988年)に登場する、メイたちがトトロに会いに行くために通過する樹木のトンネルを想起させる。
また、眞人がアオサギを撃つためにこしらえる弓矢は、言うまでもなく『もののけ姫』(1997年)のアシタカの武器であり、ナツコが眠る部屋に張り巡らされた紙の“式神”(しきがみ)は、『千と千尋の神隠し』(2001年)で、鳥の形をした紙が乱舞するシーンを否が応でも思い出させる。
本作は過去の宮崎作品を学習したAIが見る夢であるかのように、宮崎作品に登場するモチーフが散りばめられている。つまり本作は、「メタフィクション」(アニメーションについてのアニメーション)であると同時に、作家である宮崎自身の自画像でもあるのだ。