アンディ、希望の伝道師~脚本の魅力
あらすじからも分かる通り、しかし本作では、自らの冤罪を信じて希望を失わなかったアンディの生き様と、長い獄中暮らしで希望を失ってしまったレッドたちの生き様が描かれている。
この対比が最も浮き彫りになるのが、アンディが署長の目を盗んで刑務所中に音楽を流すシーンだろう。事件の後に懲罰房に入れられたアンディに、レッドは「希望は危険だぞ、正気を失わせる、塀の中では禁物だ」と諭す。しかし、希望を信じ続けるアンディは、レッドにこう切り返す。
希望はすばらしい。何にも変え難い。希望は永遠の命だ。
このアンディの言葉の意味は、物語の後半、彼が脱獄に成功してシーンではじめて明らかになる。作中で登場したモチーフやアンディの行動が、実はアンディの脱獄計画の一環だったことが判明する展開は、観客の溜飲を下げること請け合いだろう。そしてこれ以降、物語は「レッドの希望の探求」が中核をなす。
アンディが自由の世界へ羽ばたいた後、レッドは3度目の面接を受け、晴れて仮釈放されることになる。彼は、長期間の服役で生きる希望を失って自ら命を絶ったブルックスの家で暮らしながら償いの日々を送るが、社会に彼の居場所はない。そこで、彼は仮釈放違反を犯し、かつてアンディが獄中で語っていた「希望の場所」ジワタネホへと旅立つのだ。
「アンディに会えるといいが。国境を越えられるといいが。親友に再会して、その手を握れるといいが。太平洋が、夢に見たのと同じように青く美しいといいが。それが俺の希望だ」
さて、主人公アンディは、両手を大きく開き天を仰ぐメインビジュアルからも分かる通り、イエス・キリストの神秘主義がモデルになっているという説がある。
ここでいう神秘主義とは、聖書を学び、神を信じ、キリストに倣うことで、真理に到達できるという考え方だ。この事実は、作中に散りばめられたキリスト教的モチーフや、「The Showshank Redemption(ショーシャンクの贖罪」という原題からもうかがえる。
つまり本作は「神話」なのだ。刑務所に希望の伝道師がやってきたという神話なのだ。そしてこのテーマは、旧約聖書の会話がもとになっている次のセリフに集約されている。
「人間の心は石でできているわけじゃない。心の中には何かある。誰にも奪えない何かが…君の心にも、それは希望だよ」
解放感をもたらすハッピーエンドで知られる本作だが、ネットの声に目を向けると「後味の悪さ」を感じた人も少なからずいるようだ。たしかに、主人公・アンディは元々、身に覚えのない罪、つまり冤罪によって刑務所に収監されることになったわけで、脱獄したからといって彼の罪が消えるわけではなく、それどころか、もしまた捕まりでもしたら、より重い罪が課されることは想像に難くない。
とはいえ、本作には先に述べたとおり、キリスト教的なモチーフが随所に散りばめられている。その文脈に則して考えると、アンディが身に覚えのない罪で収監されるところから始まるという設定は、すべての人間は生まれながら罪を負っているとされる、キリスト教の「原罪」が重ねられていると見ていいだろう。