本作のラストから見えるもの
終盤の展開もまた、さまざまな定型と戯れてきた物語が、それでも新規性をアピールするための落とし所としては、非常によく考え抜かれたものではある。
しかし、定番バービーに向けられ得るあらゆる反感をあらかじめ取り入れてきたストーリーの締めくくりとして提示されるロビーの選択を、何らかの形で自分の生にも関わる切実なものとして受け止めることは、常にメタ的な作者視点に立って物語を受容するのでもない限り、男性のみならず、誰にとっても難しいのではないか。
なぜなら、変化を拒んできた彼女が決定的な一歩を踏み出す契機は、作中でとても十分に描かれているとは思えないからだ。
同様の問題は、ゴズリングらが演じるケンについても言える。かつての女性を反転させた、ただ見つめられるためだけの存在から、「有毒な男性性」の権化へ。二つの両極端な典型の間を揺れ動いてきた男たちが、いずれにも依存しない存在として唐突に自らを肯定しはじめようとする展開は、容易には受け入れ難いものだろう。
性別二元論を誇張したバカバカしいコメディとして割り切ることなく、土壇場でより進歩的な視点をも盛り込もうとしたことは、理解はできるものの、さすがに欲張りすぎだったように思われる。