作品に込められた二面性ー脚本の魅力
キューブリックの作品には互いに矛盾したモチーフが登場する。例えば代表作である『時計じかけのオレンジ』は、個人の自由と為政者の全体主義という二律背反を軸に展開する。そして『博士の異常な愛情』(1964)では、「核」というモチーフを根幹に据えることでより直接的にジレンマを表現している。
こういった二律背反は、本作にも散りばめられている。わかりやすいのは戦場のジョーカーの服装だろう。彼は、頭のヘルメットにハートマン軍曹の教えである「born to kill(生来必殺)」という標語を刻んでいる一方、左胸にはピースマークのバッチをつけている。頭では殺戮を考えているが、心では平和を希求しているというわけだ。
本作のタイトルである「フルメタル・ジャケット(完全被甲弾)」にも触れなければならない。全体を鉛で被覆したこの弾には、敵を苦しませずに殺戮するという人道上の配慮が込められている。存在そのものが非人道的であるはずの殺戮兵器にギリギリの倫理性をまとわせるという行為は、戦争の大いなる矛盾だ。
また、全体に散りばめられた「幼稚なモチーフ」についても触れなければならない。例えば、海兵隊キャンプのシーンでは、ハートマンが新兵たち全員に赤ん坊であることを強要し、「ママ(聖母マリア)」の崇拝を強要。鈍臭い新兵(ほほえみデブ)には罰として指しゃぶりを強要する。新兵たちの人間性を一旦はぎ取った上で、そのタブラ・ラサ(何も書かれていない紙)に殺人マシーンのプログラムを書き込んでいるのだ。
そして、こういったモチーフは、後半の実戦シーンでさらに加速する。例えば冒頭では、ジョーカーのカメラを奪ったベトナム人がカンフーのような構えでジョーカーを挑発する。また、ジョーカーの仲間の兵士は瓦礫に落ちているウサギのぬいぐるみを拾って被弾する。
極め付けはラストで出てくる「少女兵」だ。屈強な男たちが戦う「約束の地」に足を踏み入れたかと思ったら、そこは「夢の国」だったー。本作には、そんなアメリカ兵士の衝撃が描かれている。
こういった描写は「幼児退行(赤ちゃん返り)」の一種と考えられるだろう。精神分析家のジークムント・フロイトは、人間が受け入れ難い不安や葛藤に直面した際の防衛反応を10種類あげており、(防衛機制)、そのうちに「幼児退行」が含まれる。つまり本作の幼稚な描写は、それ自体が戦争という受け入れがたい現実を表現しているのだ。
キューブリックは、本作を「反戦映画ではなく、戦争のリアルを描いた映画だ」と語っている。本作に登場する「夢の国」は、彼が感じたリアルな戦争の姿なのかもしれない。