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映画、終わりのない悪夢〜脚本の魅力

映画『マルホランド・ドライブ』のスタッフ&キャスト
映画マルホランドドライブのスタッフキャストGetty Images

あらすじからも分かる通り、本作はリタが謎の青い箱を開けるシーンを中心に前後半の2部構成に分かれている。

また、主人公2人の役柄も異なっており、ナオミについては前半では「期待の新人女優ベティ」、後半では「落ちぶれた女優ダイアン」として、ハリングについては前半では「記憶喪失の謎の美女リタ」、後半では「ダイアンの宿敵の人気女優カミーラ」として登場する。

この構造の解釈としては、前半部が「ダイアンの見ている夢と理想」であり、後半は「ダイアンの落ちぶれた現実」とする解釈が一般的だろう。とはいえ、監督であるリンチははっきりと明言しておらず、この解釈が正しいかは分からない。

本作が「夢と現実をめぐる物語」と割り切れない理由は、円環構造にある。例えば前半、ベティとリタの2人がベッドに横たわるダイアンの死体を見つけるシーンがある。もしこれが現実だとすれば、この物語全体が、「自殺したベティの見ている夢」という解釈も可能になる。

この解釈を手助けになるのは、前半ラストの「クラブ・シレンシオ」のシーンだろう。

「ここには楽団はない、オーケストラはない、聴こえるのは録音です、テープです。すべてはイリュージョンです」

観客に向かって大声で叫ぶ司会者。舞台には、トランペッターや女性歌手が次々と登場するが、彼らが演奏をやめても音楽は止むことなく続いている。このシーンは、ベティとリタが夢の中の人物であることを悟る極めて重要なシーンだが、この論理を適応すると、本作自体が「見る人がいない夢」ということになる。

なお、このシーンの「実体がないイリュージョン」は、そのまま映画のメタファーとしても考えられるだろう。つまり本作のダイアンは、「映画」という終わることのない夢の中に囚われた悲劇のヒロインなのだ。

『イレイザーヘッド』『ブルーベルベット』(1986年)『ロスト・ハイウェイ』と、悪夢にも似た映画を数多く発表してきたリンチ。本作には、彼の映画哲学が色濃く表れている。

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