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一家の栄枯盛衰を描いた壮大な叙事詩ー脚本の魅力

マイケル役のアル・パチーノ【Getty Images】
アルパチーノGetty Images

本作の最大の魅力は、なんといっても2つの時間軸を交錯させた物語構成だろう。

前のページでも触れたように、本作ではコルレオーネの初代ドンであるヴィトーの物語(1920年代)と、二代目マイケルの物語(1950年代後半)が交互に描かれている。圧倒的なカリスマ性でファミリーを束ね、皆から敬愛されるヴィトーの姿をマイケルに対比させることで、拝金主義で信頼を失い凋落していくマイケルの悲壮感と孤独感をより際立たせているのだ。

なお、本作のコントラストは、ヴィトーとマイケルのみにとどまらない。例えば、マイケルのパートのはじめに描かれているパーティーのシーンは、『ゴッドファーザー』冒頭に登場するマイケルの妹コニーの結婚パーティーのシーンと呼応している。つまり、本作は、ヴィトーの栄華を描いた前作のシーンを踏襲しながら、そこに破滅の匂いを漂わせることで、コルレオーネ家の盛衰を描いているのだ。

なお、ヴィトーのパートは、原作にはあったものの前作では省略した部分を使用。一方、マイケルパートはコッポラが新たに書き下ろした完全オリジナルで、キューバ革命をはじめとする当時の世相が作品に織り込まれている。

前作『ゴッドファーザー』の“後日譚であると共に前日譚でもある”という構成は未だなお斬新だ。2つの時制を交互に描くプロットが混乱を生むどころか、観る者に歴史絵巻を紐解いていくような快感を与えるのは、前述したように、人物造形、描かれる出来事、そこで生まれる感情など複数のレベルで2つの物語が巧みに対比されているからに他ならない。

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