シェイクスピア劇を夢幻能に置き換えた慧眼―脚本の魅力
本作の脚本の白眉は、シェイクスピア劇に夢幻能を融合させた点にある。
夢幻能とは、亡霊を主人公(シテ)とした能のことで、生身の人間を主人公とした現在能とは異なり、過去の物語や夢が描かれるのが特徴だ。
この夢幻能の語り方は、本作の構造にも取り入れられている。まず、冒頭では、霧の中に包まれた蜘蛛巣城の跡が映し出され、そこから徐々に蜘蛛巣城がなぜ滅んだかが語られる。つまり、本作では、諸行無常や因果応報といった夢幻能の世界観を採り入れることで、「運命」というシェイクスピア悲劇のエッセンスを再解釈しているのだ。
また、作中では、老婆の予言を妄信する武時が、浅茅のアドバイスを受けて、主君を裏切るのが宿命であると考え始める。そして、この妄信が、武時の精神を追い詰める。なぜなら、主君を裏切るのが宿命ならば、部下から裏切られ殺害されるという「因果応報」もまた逃れられない宿命だからだ。
こういったテーマを直截的に表しているモチーフが、タイトルに含まれる「蜘蛛の巣」や謎の老婆が弾いている「糸車」に他ならない。つまり武時は、運命に操られた操り人形なのだ。しかし、彼には、まるで蜘蛛手の森を包み込む霧のように、自身を操る糸の先が見えない。
シェイクスピア劇のスター俳優であるローレンス・オリヴィエは、ロンドンで黒澤に会った時、武時の絶命シーンに加え、以下の4つのポイントを褒めたといわれている。
①浅茅の懐妊
②浅茅の死産
③野鳥が城に飛び込んでくるシーン
④武時が大量の矢に射抜かれるシーン
このうち、①~③は、武時に降りかかる不吉な予兆として働いている。
例えば③。合理的に見れば、野鳥が城に飛び込んでくるという展開は、森が伐採され、鳥たちがねぐらを失ったことによるものだ。しかし、武時はここに自身の死を暗示する不吉な予兆を読み取る。つまり、このシーンは、合理的な結果であるとともに、非合理的な予兆でもある。
そして、④では、不吉な予兆が矢の雨となって一気に彼の身に襲いかかる。この時、全身を矢に貫かれた武時の姿は、まるで自身が吐く非合理の糸にからめとられた蜘蛛のようにもみえるだろう。つまり、「蜘蛛巣城」とは、彼の頭の中の妄執そのものなのだ。