音のある世界と音のない世界〜映像の魅力
作中では、カメラワークでろう者の世界の見方が表現されたシーンがある。例えば兄のレオ酒場で1人呑んでいるシーンでは、他愛のない雑談をする漁師たちの顔のアップが挿入されることで、彼の疎外感と、会話の内容を口の動きから読み取ろうとする彼の必死さが伝わってくる。
あるいは、ルビーの合唱の発表会のシーン。歌が聞き取れない彼らは、周りの観客の反応から間接的にルビーの歌の内容を知ろうとする。
ちなみにこのシーンでは、ある決定的な演出がされている。後半部分、ルビーとマイルズのデュエットのパートで、映像がいきなり無音になるのである。
このシーンだけ切り取れば、この映像は、単に音がない映像だが、ここまで見た観客にとっては、単なる映像以上の価値を持っている。なぜなら、この映像が、ろう者であるルビーの家族が感じる世界そのものだからである。
なお、このシーンとは対照的なのが、ルビーの入学試験のシーンだろう。審査員を前に1人歌っているルビー。歌の途中でホールに家族が入ってくると、家族にもわかるように歌詞の内容を手話で表現する。家族に対するルビーの優しさとあたたかさが伝わる感動的なシーンである。
さて、こういった表現から垣間見えるのは、ろう者の世界と健聴者の世界には優劣はなく、それぞれが全く異なる世界であるということである。つまり、本作は、ハンディキャップというテーマ以前に、異文化間のコミュニケーションをめぐる物語なのである。女性の撮影監督・パウラ・ウイドブロは、上記のコンセプトを、繊細な映像感覚で視覚化しており見事だ。